夢幻泡影   -海鳴りにエロスにおいたち- ヨシダ・ヨシエ企画 
                                                    1986.4.30-5.11  ギャラリー三真堂
尾藤敏彦に

またみつかった! 何が?永遠だよ。太陽とまじわる海さ。(A・ランボー)
フランスの詩人が、かつてうたったように、
海のひびきをなつかしむ、貝の耳をした女たちが、
惜しげもなく、からだをひらき、海と溶けあっている。
わたしたちは、また永遠を、みつけたのだろうか。
古代の海水にみたされた子宮の記憶のなかで、
海藻のようにゆらめく想像力。
それは、ギリシア的な明晰性よりも、
北欧神話のようなマグマ的幻想が、斜陽を映してうす赤く燃えているのだ。
感じやすい肌を責めあげる岩礁の肉。
乱れた髪の波のたかぶり。
けだるい性の匂いを潮香に馴染ませた貝の舌。
打ちよせられた流木の枝のように絡みあう足の指。
胎児を宿して宙空にかかるフルムーン。
尾藤敏彦の描きだす世界は、こうしてエロスの創世記となり、
海の深い碧さの底に咲いた薄紫の薔薇の吐息となり、
すごい速力で暗い空を飛ぶ雲の既視感〈デ・ジャ・ヴュ〉となり、
波間に漂う狼たちが喰いちぎった記憶のきれぎれとなり、
夢の漂流物の押し殺した音声のポリフォニーとして、
あなたのスクリーンに古いフィルムの映像のように、
ゆれはじめることだろう。
あなたは嵐が近付いていることを知っているし、
ほんとうに風で終末の黙示録のページがめくれ、
タナトスの息を呑むような洞窟をのぞきこんでいるにちがいない。
それでもあなたとわたしは、
永遠をみつけたのだと、叫ぼうか。
尾藤のみつめている水平線にむかって。
                          
ヨシダ・ヨシエ(美術評論家)
                                                                                                1987.11.30-12.05 日本画廊
尾藤敏彦の海に
 岩礁と溶けあっているような肉体から、朽木のように突きでた、尾藤敏彦の描く腕が、30年代なかばのダリが内乱の予感として、層積雲の走る空間を、歪めるように区切らせた腕に似ていることは、一応注目しておいていいだろう。
 しかし、正確には「ゆでた隠元豆による柔らかな構造」と題された、このダリの絵の空間構造は、隠元豆の散らばるスペインの荒蕪の大地から、簞笥ひとつを支柱にして、切り離されることによって、アンバランスな腕のフレームを狂暴に膨張させて、巨大な不安のイメージをとらえこんだのだ。たしかにその根瘤のような一方の腕は、赤い乳首を持つ乳房を、しっかりと握りしめてはいるが。
 一方、尾藤敏彦の腕の先は、女陰〈ヴァジャイナ〉の花芯のなかに挿入されている。それは、そうすることによって、世界の円環作用としての意味の記号となるのだ。そして、ダリの乳首は外がわに突きだされ、世界からはみだしているではないか。乳房は吸われ、ペニスは挿入されたとき、液体の流動は活性化して、世界はむすばれ、サーキュレイトする。それは己の尾を喰わえるウロボロスの蛇として、一体化し、ハンス・ベルメールがイマージュの問題とした、交換可能なヘルマフロディトゥス的存在として息ずくのである。肉体と大地の溶融するマグマ・オーシャン(溶けた溶岩の海)は、こうして、天と地との二分法を消し去って、世界の構造を変えてしまう。世界はコロイド状ゾルとして、均質化しながら、宙空に浮き、海が空をおおい、大地は空になり、岩はヴァジャイナの花として開花するのだ。尾藤敏彦のこのような世界が、常に水のなかにあることは重要である。それは子宮の海であることによって、創世記の部厚いページを風でめくり、マグマ・オーシャンであることによって、終末の予兆にみちた波が押し寄せてくるのである。
         
ヨシダ・ヨシエ(美術評論家)
Sacrificium   - 供物 -
エロース、タナトス、そしてムネーモシュネーに。
1990.11.09-17 日本画廊

わたしは三柱の神々を祭る祭壇の前に横たえられている
贄として
わたしには何も聞こえず何も見えない
ただ神々の訪れを待っている
儀式は続けられる
エロース
あなたはその美しさで私を奪い傷つけカオスへ落とし入れようというのか
あなたの美しさの愛撫に私はもう慄いたりはしない
あなとの美しさの闇にもう魅せられたりはしない
儀式は続けられる
タナトス       エロースの神のよき友
あなたはその甘い牙でわたしに食らいつきわたしを呑み込もうとするのか
もはやあなたの牙を怖れるわたしではない
もはやあなたの名を祟るわたしではない
儀式は続けられる
ムネーモシュネー       記憶の女神
わたしがあなたに帰依するその瞬間〈とき〉をあなたは待ちわびているのか
あなたの暖かい懐はわたしの慰めの場ではない
わたしが帰依するのはレーテー 忘却なのだから
儀式は続けられる
贄であるわたしが永遠なるものへと変えられていく
贄であるわたしは祭られるものとなる
聞こえてくるのは     凍りついたものたちの歌うわたしへの頌歌〈ほめうた〉
私の目に映るのは     非情の相

齋藤俊太
玄・洞・牝
                     2008.11.24-11.29 ギャラリー58
実存の不安の概念を形象化する
皮膚は、人体の保護のためにあるという通説は十八世紀、杉田玄白、前野良沢らによって訳された『ターヘル・ア・ナトミア』以来の通説だが、皮膚は内蔵のファッションとも読める。
ヘンリ・ミラーは子宮の奥が覗きたいと記したが、ヴァジャイナや唇は内蔵がめくれて表出しているという見方もあるのではないか。
尾藤敏彦の皮膚の作品は浮遊性があり、一種の透明感をともなう。
それは存在の不安と人型は腐食が進行しているようにみえるが、なおエロスという生命感を漂わしている。
エロスとタナトスと言えば、それは観念であるが、見事に実存する。
実存主義といっては、やや時代遅れのようだが、エクジスタンシャリスムという存在の不安感は、きわめて現代的であり滅びたわけではない。
エロスの実存を見事に形象化した作品が、尾藤敏彦の近作である。
         
ヨシダ・ヨシエ(美術評論家)
「浮遊する金属膜の裸体」
『健康保険』 2014年12月より抜粋
- 蠟型を金属に置換する - 
 胴体、足、腕。展示空間に、女性の裸体の部位が浮遊している。中は空洞で、皮膚一枚をはがしたような金属製の彫像は、よく見るとシワや毛穴までリアルに再現されている。うっすらと黄色味がかった銀色の光沢を放ち、美しさを感じこそすれ、卑猥さや気味悪さは微塵も感じない。いやらしさや嫌悪感を抱かせないエロス。その絶妙なニュアンスを具現化できる作家は、現代アートの世界広しといえど
も、一握りだろう。
<中略>
- 心奪われた「土佐源氏」-
 尾藤は岐阜県の山間の村に生まれた。父親は山林を伐採して売る、いわゆる「山師」だった。「俺も高校時代まで手伝った。ただ、高校の時は授業をサボっては小説を読みふける劣等生だった」と振り返る。
 放課後、近所に住む芸大出身の教師の家にもよく遊びに行った。そこで開いたベルナール・ビュッフェの画集に衝撃を受けた。初期の作品を見ると、エロティックな世界をとても美しく描いていたからだ。その後は東京の武蔵野美術大学の講習会にも参加。油絵にのめり込み、高校卒業後は同大学に進学し、親を安心させるために教員免許も取得した。
 大学時代に影響を受けた人物がいる。アーティストではなく、民俗学者の宮本常一だ。日本中を隈なく歩き、それぞれの土地に暮らす人びとの実態を掘り起こし、発表した宮本。その代表作である「忘れられた日本人」の中の傑作「土佐源氏」を読み、心を奪われたのだ。
 「高知県と愛媛県の県境近くの山間に住む乞食が語る女性遍歴を赤裸々に記している。それは並大抵のエロティックな話ではない。けれども全然いやらしさは感じられず、むしろ男女の素敵な話になっている。素敵なエロスに魅せられて、自分もそんな世界を表現することに憧れた」(尾藤)
- 素敵なエロスの探求 -
 卒業後は油彩の個展を中心に活動してきた。30歳になってから高校で美術を教えるようになり、一般的な美術教師が公募展に作品を出品するのを知っても、自分だけは個展にこだわった。「単に公募展に出すのが嫌だったから。あくまでわが道を行くのが自分の生き方」と、尾藤は言う。39歳の時に創形美術学校の夏期講習でテンペラと油彩の併用による描き方を勉強し、以後はその技法を用いて、グロテスクや猥雑さのない、エレガントなエロスの世界を描き続けた。
 蠟型と金属による独特の技法を手にしたのは、45歳の時だ。東京芸大の工芸科鋳金講座の工房で技法を学び、立体作品も作り始めた。その後は平面と立体を併行させ、68歳になる現在まで、異色作を絶え間なく発表し続けている。
 創作の技法を貪欲に吸収し、平面から立体へと表現方法の幅も広がった。「けれども、考えていることは高校時代からまったく変わっていない。素敵なエロスの世界を表現したい、それだけで、50年間、自分勝手にやってきただけ」と、さらりという尾藤。決してぶれない一途な想いから、人の心を掴む作品は生まれるのだ。

高橋 学
ヌーベルジャポン vol.33   現代芸術の開拓者たち
『健康保険』第68巻12号  健康保険組合連合会
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